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東京地方裁判所 昭和24年(行)79号 判決 1949年12月15日

主文

原告の訴を却下する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告は「(一)被告が昭和二十四年五月十日附を以て原告に通告した田島祥二外六名にかかわる住居侵入告訴事件の抗告棄却処分は之を取消す。(二)被告は憲法第九十九条の義務に鑑み田島祥二外六名に対し速に公訴を提起せよ。(三)訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、その請求の原因として昭和二十一年三月二十八日訴外田島祥二外六名は不法に原告の住居に侵入し退去しないので原告は翌二十九日右訴外人等を住居侵入罪を犯したものとして野方警察署に告訴したが東京区裁判所検事局は証拠不十分の理由で之を不起訴処分に付した。原告は右処分を不服として裁判所構成法第百四十条に基き東京刑事地方裁判所検事局に抗告したが起訴猶予を相当とするものとして抗告棄却となり次で東京控訴院検事局になした再抗告も昭和二十三年九月三十日東京高等検察庁に於て右同様の理由で棄却された。原告は之に屈せず、更に最高検察庁に抗告したところ、被告検事総長は昭和二十四年五月十日附を以て被告訴人らの犯意なしとして原告の抗告を棄却した。そもそも告訴とは憲法が国民に保障する住居、身体、財産の安全等の基本的人権が蹂躙された場合国民から検察官に対してなす起訴請求権の行使であつて、犯罪事実の単なる通告の如きものではない。憲法が基本的人権を国民に保障した以上その基本的人権が不法に侵害された場合には国民は検察官に対しその具体的実現を請求出来るのは当然の事理であつて起訴請求権は憲法に直接由来する国民の権利である。従つて本件の如き憲法の根底をなす文化的平和国家建設の精神を破壊し且憲法が保障する住居の安全を蹂躙した犯罪について検察官が告訴を受理しながら故意過失若くは怠慢によつてその犯罪事実の証明があるにも拘らず不起訴処分に付したのは当該検察官の職務の怠慢若くは職権濫用による違法処分であるといわざるを得ず、下級官庁の違法処分を認容して、原告の抗告を却下した被告の処分も亦違法処分として取消を免れない。又被告訴人等は原告が最高検察庁に抗告した当時尚原告の住居を退去せず住居侵入を継続していたから原告が同庁に対してなした抗告は新に告訴をしたことにもなつて、原告より被告に対し起訴請求権の行使があつたに外ならないから被告は速に公訴を提起すべき義務を原告に対して負うことは明らかである、而して憲法第九十九条は公務員に対し、憲法を擁護尊重すべきことを命じているのであるから、全検察官を指揮監督すべき重責にある被告は本件の如く基本的人権を蹂躙する犯罪事実について告訴があつた場合は直ちに公訴を提起して原告の権利を防衛すべき憲法上の義務をも併せ負うものである。よつて請求の趣旨記載の如き判決をもとめるため本訴請求におよんだ次第であると陳述し尚被告指定代理人等は法務総裁の指定した法務府所属の職員であるが本件の如く検察庁の不起訴処分に関する争は検察庁独自の権限によつて処置せらるべきものであるから法務総裁は本件訴訟に関与する事は出来ないものであつて「国の利害に関係ある訴訟についての法務総裁の権限等に関する法律」第六条第二項の規定は本件にあつては適用される余地がなく被告指定代理人等は、本件につき代理権を有しえないものであると附陳し、訴の却下を求める被告の本案前の抗弁に対しては行政事件訴訟特例法は行政庁の違法処分の変更を訴訟の目的としてあげている。従つて原告が被告の行つた抗告棄却処分を変更して起訴を命ずる判決を求めることは不適法でない。又行政権が違法に行使された場合これを改めて適法のものとすることは何等司法権による行政庁の侵犯とはなり得ないと述べた。

被告指定代理人は「請求の趣旨(一)にたいしては、原告の請求を棄却する。(二)にたいしては原告の訴を却下する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決をもとめ検察庁法は裁判所構成法第百四十条の如き規定を欠き検察官の司法事務取扱の方法にたいし抗告することを認めていないから同法が廃止された後には告訴人は検察官の不起訴処分に対し、法令上抗告をなす権利はなく、かくの如き抗告に対してなされた行為は法令の規定によつてなされたものでないから最高検察庁がなした抗告棄却処分は行政処分ではない。従つてこれに対して行政訴訟を起すことは許されない。仮にこれが行政処分であるとしても告訴人には起訴請求権がないから検察官が不起訴処分をし、又被告がその処分を是認する決定をしても告訴人の権利を侵害することはありえない。従つて右いずれの理由によつても被告の抗告棄却決定の取消を求める原告の請求は棄却さるべきである。次に被告に対して公訴提起を命ずる判決を求める原告の請求は行政権を侵害するもので司法権の範囲外の事項に係わり裁判権に属しないから不適法として却下さるべきであると答えた。

理由

原告の請求は、要するに告訴事件の不起訴処分の取消と公訴の提起をもとめるものである。

かかる請求を認容するならば結局検察官の請求なきに拘らず裁判所において犯罪事実の存否、犯情その他を審理し、その結果として裁判所による公訴の提起をみとめることとなるわけであるが、刑事訴訟法は極めて例外的に、私人が検察官の公訴権の行使にたいして制約を加えることを許しているばあい(第二百六十二条以下)を除くほか公訴権を検察官に専属させている(第二百四十七条)のであつて、裁判所が公訴を提起することはみとめておらず又かかることは検察官は被告人を訴追する当事者であり、裁判所とは全然機能を異にするものとした刑事訴訟法の根本構造にも矛盾するわけである。

従つて原告の請求はそれ自体裁判所の裁判権に属しない事項を目的とするわけであるから却下し、訴訟費用の負担については民事訴訟法第八十九条にしたがい主文の通り判決する。

尚附言すれば、

(一)「国の利害に関係のある訴訟についての法務総裁の権限等に関する法律」第六条第二項第五条によると法務総裁は行政庁を当事者とする訴訟を所部の職員に行わせることができるのであつて被告が行政庁であることは明らかであるから、被告の指定代理人は適法に代理権を有するものである。

(二)検察官は捜査の結果、公訴を維持することができないものとみとめれば公訴を提起せず、又たとえ有罪判決をうる見込があつても、犯人の性格年齢等および犯罪の軽重その他を考慮して起訴猶予処分に付することもあるのであつて、公訴提起の権限はすべて検察官に独占されているわけである。かかる制度には長所もあつたが、その権限の強大なあまり、兎角独善的に流れ本来の法の創造者である国民の意思を十分に反映しえない危険があつた。そこで検察審査会法が制定されて、検察事務が果して妥当に行われているかどうかを監視し、殊に検察官の不起訴処分の当否を審査する制度が実現され、又刑事訴訟法は、職権濫用罪については不起訴処分の当否を裁判所の審判に付することを私人が請求しうるものとしている。したがつてかかる制度だけで検察事務の正当性を保障することができるかどうかは別論として、現行法上検察官の不起訴処分の当否を争うものは、右にあげた方法による外はなく、裁判所にたいしてその判断をもとめるのは筋違いである。

(三)裁判所は行政事件に関する裁判権をもつているが、これは三権分立の原則を否定して行政権にたいする監督権をもつたわけでも行政権を行使する行政機関になつたわけでもない。したがつて裁判所は行政処分が違法であるかどうかの判断をなしうるに止まり自ら行政庁に代つて処分したのと同様な効果を生ずる判決をしたり、行政庁に処分を命じたりすることは行政権を侵害し、三権分立の原則に反するから、許さるべきではないものであつて、行政事件訴訟特例法第一条に所謂行政庁の違法な処分の「変更」とは一部取消の意味にすぎないものと解せられる。かかる解釈に反する原告の主張は、法律の誤解に基くもので採用できない。

(四)原告は憲法第九十九条によれば公務員は憲法を尊重し擁護する義務があるから、被告は原告主張の告訴事件につき公訴を提起する義務があると主張するが同条は天皇その他公務員の一般的義務をさだめたものでこれに違反した場合政治的道義的責任が生じることはあつても、直ちに何等かの法律上の効果が発生するものではないからこの点に関しても原告は法律を誤解しているものと考えられる。(昭和二四年一二月一五日東京地方裁判所民事第六部)

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